早期退職おじさんの日常

早期退職制度を利用して57歳で会社を辞めました。

あれは、寒い冬の日のことじゃった…

思い出話である。

あれは寒い冬の夕方、仕事帰りの駐車場で起きた出来事だった。

当時僕は、出向でとあるメーカーに勤めていた。

僕の勤めていた部署は、その部署だけが独立して敷地と建屋を持っており、片田舎の高台に要塞のようにそびえ立っている。その駐車場は平置きで、とてつもなく広い。

その日は特に寒く、仕事を終えて駐車場へ行くと、車がガチガチに凍りついていた。高台で吹きっさらしのため、ふもとよりも気温が下がりやすいのだろう。

エンジンをかけて暖機している間に、ふと窓は開くのだろうか?と気になった僕は、やめておけばいいのになぜかパワーウインドウのスイッチを押してしまった。

窓が凍りついていので、下がるときに「バキッッ」という大きな音がしたが普通に動作した。他の窓も同じようにバキッッといいながら開いた。

よしちゃんと動いたね。とスイッチを引き上げて閉めようとしたそのとき、窓が全く反応しなくなっていることに気づく。

開いたのに閉じない!? え、なんで。どういうこと?

スイッチをカチャカチャいじっていたら、運転席の窓だけは閉まったが、他の窓はウンともスンとも言わなくなってしまった。

無理に窓を開けたのでヒューズが飛んだか? それともドア内部のパワーウインドウ機構も凍っていて、変な負荷をかけたからギミックがおかしくなってしまったんだろうか?

これでも僕は技術者だ。思いつく限りのトラブルシュートを頭に巡らせて、なんとか原因をつきとめようと考えたが、分かったところで会社の駐車場では対処のしようがない。ここはひとまず車屋へ駆け込もうと、僕は窓を全開にしたままで車を走らせることにした。

寒い。凍りつくほどの寒さの中を窓全開で走るのは寒すぎる。鼻水が風で後ろになびく。走りながら凍死できる。

すっかり体が冷え切ったころ、そろそろ店を閉めようかという車屋にたどり着いた。とにかく近くの車の店へと思っていたので、特に普段関わっているわけでもない、初めて行く店だった。

窓を全開にした車から全身が凍てついたおっさんがヨレヨレと出てきたことに、店の人もただならぬ気配を感じたのだろう。

「どうしましたか?」と営業の若い女性が心配そうに声をかけてくれた。

「窓が、窓が閉まらなくなってしまって…」

「えっそれは大変ですね。ちょっと拝見しますね」

閉店間際だったにもかかわらず、営業のお姉さんは車に乗って窓のスイッチを確認してくれた。

スイッチをカチャカチャいじってる姿を見ながら「違う、そうじゃない。壊れてるんだよ。電気系統か内部の構造の問題なんだよ」と心で訴えつつも、とりあえず黙って彼女の作業を見守る。

すると…

スーッと窓がきれいに閉まった。

「あ、閉まりましたよ。大丈夫です。よかったですね。」

…え?閉まったの?なんで?いったいどんな魔法を使ったん?えっえっ、なんで?

「このスイッチを解除したら閉まりますよ。これが押されていると、運転席以外の窓が操作できなくなるんです。」

 

あっ…

知ってる。それ、知ってる…

そのスイッチ知ってる…子供が勝手に窓を操作できないようにロックするやつ。めちゃくちゃ知ってる…

これ

窓を開けたあとに閉めようとしたとき、おそらく自分でうっかり触って押してしまったんだろう。それに気づかず「うおー閉まらねえ!」とパニックになって、窓全開でとにかく走り出したんだよ僕は!

機械においては仕事で関わっているプロである僕だが、この時ばかりはそれを表に出してはならないと本能が訴えてきた。ここはド素人になりきれと。

「うわー、このスイッチが押されてると窓が動かないんですか。いやぁ助かりました。ありがとうございます!」

そう言ってそそくさと車に乗り込む。

営業のお姉さんは「よかったですね!」という満面の笑みをたたえて僕を見送ってくれた。

帰り道の僕は、窓が閉まった安心感よりも、営業のお姉さんに「ボクの見立てではネ、配線かウインドウレギュレーターに問題が生じたんじゃないかと思うんですよ」などとヘタに玄人っぽい発言をしなくてよかったという思いでいっぱいだった。

もし何か言っていたら、シッタカマウント客としてお姉さんの職場でのちのち笑いものにされるところだっただろう。

そう思ったら、顔から汗が噴き出してきた。人間はこういうとき、極寒でも汗をかくことができる。

あれから4年経つが、パワーウインドウはなんのトラブルもなく、全く正常なままである。