高校生時代の話
現在のおじさんたちが、昭和50年代後半の高校生だった頃に、どんな青春時代を送っていたかという話でもしよう。
僕がどうだったかというより、当時の若者全般の話だ。
僕は昭和39年のオリンピックイヤー生まれなので、その近辺に生まれた人なら共感してもらえるところがあるかもしれない。
高度経済成長期はとっくに終わって、バブルはまだ来ていないという、そんな高校時代。
当時、芸能界はアイドル全盛期で、たのきん、キョンキョン、中森明菜、早見優、松田聖子、松本伊代、堀ちえみなどが活躍していた。おニャン子やチェッカーズも同年代ではあるが、高校時代に彼らはまだ登場していなかった。
ちなみに、山口百恵、南沙織、麻丘めぐみなどはひと世代上で、小学生のときに女子たちが夢中になっていた。
そのほかには、すでに第一線にいたユーミンやサザン、アリス、オフコース、アルフィーなどが人気だっただろうか。
YMOがカリスマ的な登場をし、子供からお年寄りまでもれなくテクノカット(もみあげを剃る)にするという、昨今では見られない現象も起きていた。
タケノコ族がブームで、体育祭の応援団といえばタケノコファッションか長ランに二分されるようなカオスな状態だ。この二者に共通していたのはリーゼント。しかし、軟派と硬派に完全に分かれていた。
僕ら田舎の高校生は、ブランド服を着たくとも近所には売っていなかったので、ジャスコで買った個性とはほど遠いファッションをするのがお決まりだった。
当然センスが磨かれるわけもなく、だれもが髪をテクノカットにし、短かめのジャケット(当時はジャンパーと呼んでいた気がする)を羽織り、無駄にタックがたくさん入ったズボンを履き、シャツをズボンにインするという姿で、休日にチャリンコを漕いであてもなく出かけたりしたものである。
まだファミコンがなかったので、家で過ごすのは勉強か読書かぐらいなもんで、そういうタイプはネクラ(陰キャのこと)などと呼ばれたりした。
よく「携帯電話のない時代にどうやって連絡を取り合っていたのか」と聞かれることがある。だが、今考えても携帯電話なしでどうしてコミュニケーションが取れていたのか、自分でも不思議でしょうがない。僕たちおじさんは、携帯電話が一般に普及し始めた平成中期から、どっぷりと携帯電話とともに過ごしているから思い出せないのだ。僕もケータイ歴26年だ。
当時は、学校で事前に約束するか、直近なら家電(いえでん)で「〇〇くんいますか」と所在の有無を確かめることからやっていたように思う。いなければいないで「はい、次〜」と捕まる相手を探すまでである。相手が女の子の場合は、受話器をとってダイヤルするまでに、「親が電話に出たらどうしよう」と、ためらいと決意の間を何往復もするなんてこともあった。
昭和ブームか何かよく分からないけど、最近よく古き良き時代などと呼ばれて、昭和を一括りにされることがある。僕はこれを非常に不満に思っている。
なぜかというと、昭和は60年以上続いた時代だ。「古き良き昭和」を模したものは主に昭和30年代を指していると思われるが、戦前からバブルまであれほど目まぐるしく変わった時代を「昭和」でまとめられるのが違和感この上ない。平成で例えるなら安室奈美恵と橋本環奈が同時代同年代にされるようなものだろう。
あと付け加えるなら、今の世代の人が考えるほど良き時代なわけがない。仮に現代に不満を持つ人が当時にタイムリープしたら、不満が増幅するだけで終わると思う。モラルなんてないに等しい時代だからな。差別言葉に「差別」という概念はなく、おじさんは人混みでくわえタバコ、池の周りに柵はなく子供は溺れ放題、バスや電車だって降りる人を押し退けて我先に乗車口へ殺到するのが当たり前だったのだから。長距離列車に至っては「駅弁を食べたあとのゴミは、きちんと座席の下に置きましょう」というのが正しいマナーだったのである。信じられるかね?
話は少し変わるが、僕の両親は僕と同じ昭和生まれ(ただし戦前)だ。そして祖父母は明治生まれ。
子供だった頃の僕は、祖父母が生まれた明治時代なんて遠い遠い大昔の話だと思っていた。なにしろ祖父母のさらに両親世代に至っては、江戸時代か文明開花時代の生まれなのだ。もう歴史の教科書の世界だ。
最近は、子供は令和生まれ、親は平成、祖父母が昭和、というパターンも増えてきたと思う。それはつまり、令和の子供からみた昭和生まれのおじいちゃんやおばあちゃんは、僕たちが子供だった頃に置き換えると「大昔の明治の人」という感覚に等しいわけである。
僕らの高校時代も、本当に歴史となってしまったわけだ。あの頃から気持ち的には何ひとつ進化していないのに。
明治のおじいちゃんおばあちゃんも、見た目とは裏腹に心は学生のときと変わっていなかったんだろうか。
そう考えるとなんだかすごく不思議な気持ちになる。