僕の知らない昔の家族の話
この間は自分が高校生だった頃の話をしたが、自分が生きていた時代は全部ひっくるめて「最近」と僕は表現している。
そんな最近のことよりも、もっと昔の、自分が生まれる前の人々の生活を知るのが僕は好きだ。身近なところでいうと両親や祖父母の若い頃の話や、さらには本からしか知り得ない江戸時代以前の話など。
身近な人から聞く昔の話というのはたいてい何かしらの補正がかかっているので、厳密にそうだったとは言いがたいところはあるが、それでも自分の知らない時代の話を聞くのは楽しい。
なのでまだ生き残っている母(昭和17年生まれ)との会話では、なるべく思い出話を引き出すような話題を振ることが多い。
今まで母から聞いてきた話の中で、楽しいなあと思ったのは以下のものだ。
- 自分(母)は6人きょうだいの末っ子だ。昔はバンバン子供が死んでたから、あらかじめ多めに子供を産むのが普通だった。だから自分は予備として生まれたが、なぜか6人全員が普通に成人してしまい、6人中3人が今も元気。(大正生まれの長兄は先日99歳で大往生したそうだ。)
- 昭和20年代の子供の頃は近くの川でいつも遊んでいて、そこで泳ぎを覚えた。たまに子供が流されて死ぬのも見た。初めて海に入ったときは、川と違って何もしなくても(塩分のせいで)浮くのでびっくりした。
- 昭和30年代の高校時代は登山部だった。共有の荷物を分担して運ぶのに、ジャンケンに負けていちばん重いガスボンベを運ばされた。女性差別はなかったが優遇もされていない。
- 高校生のときに車の免許を取って軽自動車(当時は360cc)に乗っていた。田舎では「女が車を運転してる!」とまだ珍しがられた時代。道路は未舗装だからしょっちゅうスタックして、困り果てているといつも後続車から次々とおにいさん達が出てきて、車の四隅を持ち上げてひょいと動かしてくれた。若い女でよかった。
- 高校生のとき、着飾って電車で街へ遊びに行ったはいいものの、豪雪で電車が止まり帰れなくなった。電話で家に救援要請をしたらなぜか長兄から仕入れを頼まれ (家は商売をしている)、オシャレスタイルのまま仕入品を入れた風呂敷を背負い、吹雪と雪山の30kmを歩いて帰った。
とまあ、こんな具合。若い頃はチャラい女子高生だったので、だいたい自分の興味のあることしか覚えていないようだが、当時の雰囲気はよく伝わる。
チャラいといえば、僕の祖父は晩年まで筋金入りのチャラ男だった。
田舎の明治生まれにしては珍しく東京の私立大学を出ている。大学生だったのは大正の終わりから昭和初期にかけての頃だ。
北欧風の顔立ちなのでさぞかしモテたんだろう。カフェーで知り合った女性と東京で学生結婚したものの、女癖が良くないこともあって翌年には離婚した。
祖父が大学卒業後に田舎に帰ってきてすぐ見合いをしたところ、相手の女性から一目惚れされ、また結婚した。そうして生まれたのが僕の父だ。
上記のこれは祖父本人から聞いたわけではなく、老人となってからの祖父の様子と、父母から聞いた話と、祖父の戸籍謄本を分析して僕が想像を働かせた内容なので話半分以下で聞いてもらえればいい。
普通、晩年はおとなしくなるものだが、祖父は80歳を過ぎても20代の女性をナンパして家に連れてきていたので、両親も困っていた。せめて借金なしで死んでくれたらよかったのにと、後年父がブツクサ言っていたのを覚えている。
僕の父はそんなチャラ祖父を反面教師に育ったので、仕事も熱心だし子煩悩だったけれども、亡くなったあとに母が「突然どこかから隠し子が現れたらどうしよう」と心配していたことがあった。この親にしてこの子あり、ってことなのか。
ちなみに祖父自身は3人兄弟妹だが母親が全て異なる。そして父は2人兄弟だが、やはり母親は違う。兄弟だけでなく母親どうしも仲違いすることはなく、普通に兄弟・親戚の関係だった。
祖父も曾祖父も県議会議員を経験しているので、単なる金遣いの荒いエロじじいではなかったみたいだし、当時はまだそういうことがちょいちょいあったようだ。そんな「昔の人ってそうだったよね」というひと言の中にも、様々なドラマがあるんだなと思ったりしている。
僕はというと、別に女癖は悪くないし最近は興味もないけど (彼女はいるけど)、離婚も経験しているので結婚には向いてない性格のような気はしている。血筋として受け継いだのはマイルドタイプだったみたいで、そこは自分的にはセーフだと思いたい。