早期退職おじさんの日常

早期退職制度を利用して57歳で会社を辞めました。

日商簿記3級に合格した

今日、日商簿記の3級を受験してきた。

タイトルにあるように、なんとか合格できた。

僕の点数は74点。ギリギリの合格ラインだったが、受かってしまえばこっちのもんだ。もう簿記の勉強をしなくていいんだ。うれしい。

試験会場を出るときにもらえる合否通知の出力

試験中は「うわあもうダメだ分かんね」と思う瞬間もあった。時間が足りなくて見直しもできない。全部の解答欄を埋めた瞬間に試験時間が終わってしまった。

普通高校出身で、バイトも社会人時代も一切お金に関わることをやっていなかった58歳の僕だが、それでも合格点が出せたのは、学校で先生が分かりやすく教えてくださったおかげだ。本当にありがとうございます。

さて、簿記資格のネット試験がどんなものか分からない人のために、ちょっとだけ説明しておこうと思う。

ネット試験の場合は受験者全員が一斉に試験開始するわけではなく、申し込んだ時間に行くと空いてるPCに案内され、そこで受験番号を入力して自分のタイミングで試験が始まる。周囲にはすでに試験中の人もいて、しかも簿記3級の受験者とは限らない。(試験会場によって若干の違いはあると思う。)

また試験問題は2500ある中からランダムに出題されるため、同じ3級でも人によって試験問題が異なる。

仕訳問題は解答を直接入力するのではなく、選択式だ。5つぐらいの選択肢がある。ただし数字は直接入力する。

試験時間は60分だ。ペーパー試験は以前は120分だったそうだが、現在はネット試験と同じく60分なので、手書きの時間を考えるとネット試験のほうが有利じゃないかなと思う。

ネット方式のペーパー方式とのいちばんの違いは、試験時間が終わったその瞬間に点数と合否が画面に現れるところだ。通知の郵送をソワソワしながら待つ必要がなく、心にも優しい。

なお合格証書は、会場を出るときにもらった合否通知に書かれた指定のURL(QRコード)にアクセスしてDLする。

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同日に受けるクラスメイトとは合否連絡をLINEで送り合う約束をしていたが、他の3人も合格だったのでなんとか面目がたった感じ。元銀行員おじさんは、合格するのは分かりきっていた上で受験したそうだが、逆に100点を取れなかったことを悔しがっていた。

 

明日からの授業はしばらくWindows PCのOffice基本操作(Word, Excel, PowerPoint)だ。毎日仕事でやっていたので今さら感があるが、これも4ヶ月間のカリキュラムに組み込まれているためサボるわけにはいかない。それに、30年間自己流で操作していたので、ひょっとしたら自分の知らない便利機能もあるかもしれない。特にOffice2019は。

ともかく今日は、簿記3級に合格して浮かれているので、今まで勉強していた3時間分だけ早く寝ようと思う。

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日商簿記3級を受験することにした

職業訓練施設で簿記の勉強を始めて1ヶ月が経過した。

当初は30年ぶりの学生生活に浮かれていたものの、ミッチリな授業内容に疲弊して今ではギブアップ寸前だ。

そして、20人いた生徒のうち1人は就職が決まって退所し、1人は授業について行けず辞めてしまった。

毎日の復習を欠かさず、あとは時間を見つけて問題集をコツコツと解いているのだが、これもちょっと手を抜くと途端に忘れてしまう。

ちょうど昨日で簿記の授業が終わり明日は休日になったので、2日間で勉強にラストスパートをかけ、日曜日に簿記3級を受験することにした。

日商簿記は従来より年に3回(2・6・11月)のペーパー方式試験が開催されている。

そして2021年12月からは、ペーパー試験に加え、随時試験実施可能な「ネット試験方式」が始まった。これはコロナ禍により会場確保が困難になったことから始まった試験方式だそうだ。

11月までペーパー試験を待っていたら、僕の場合全てがリセットされてしまうだろう。なので何の迷いもなくネット方式での受験を選択することにした。

ネットでオンラインだからといって、自宅で受験できるわけではない。全国に120以上ある試験会場から、ここで受けようという場所を自分で決めて申し込むのだ。

詳しくはこちら

僕の住む地域では近隣に受験会場がなかったので、電車で40分ほどの隣県の街まで繰り出して受験することにした。

今は毎日、仕訳と精算表、貸借対照表損益計算書、と、毎日吐きそうになりながら問題集を解いているが、模擬試験で合格ラインに達したのはまだ1回だけ。(合格ラインは100点満点中70点。)

そういえば先日YouTubeを見ていたら、金髪のふわふわ現役女子大生が「自力で勉強して2週間で3級取れました〜」と言っていた。ぐぬぬ。煽られてる。

クラスの中では、同時期に受験を決めた人はまだ4人だ。
僕の他には、おじさん仲間の元銀行員と元塾講師、あと1人は30歳のシングルマザーである。

子育てなどで自分のために使える時間が限られる若いお母さん生徒は、まだ勉強時間が足りないからと受験を見合わせている人が多い。そんな中で受験を決めたシングルマザーは、子供を寝かしつけたあと、毎日夜中の2時まで勉強していたらしい。すごい。

こんなお年寄りでも3級が取れるんだとみんなに自信を持ってもらうためにも、残り2日間の勉強でなんとか心のハードルを下げようと悪あがきしてみる。

日曜日に僕のブログの更新がなかったら「あっ、ダメだったんだ…」とそっとしといてください。

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幽霊と泥棒と祖父の新盆

お盆も過ぎ、みなさんの御先祖様も無事にあの世へお帰りになった頃かと思う。

実は、お盆に御先祖様が戻ってこられるのは、仏教の中でも浄土真宗以外の宗派だけだそうだ。浄土真宗の場合は、極楽浄土で仏になった人達はお盆だからといって一時帰省することはないという。だから浄土真宗の家庭では、お盆に迎え火や精霊馬などの盆飾りをすることがない。

 

さて、先日敷地300坪の実家の話をしたが、親に聞いたところでは、建てられたのは戦後間もなくのことだったそうだ。

母親が言うには、家が建つ前は墓地だったとかなんとか。母は他人から聞いた話を拡大解釈して吹聴するタイプなので信憑性は全くない。

それと関係あるのなかいのか分からないが、昔から家にはよく得体の知れないものが見えたり聞こえたりすることがあった。

たとえば、夜中に屋根の上で足音がするとか、すりガラスの向こうに白い影が移動するのが見えたりとか、暗い廊下の向こうに人が立っていたりとかそんな具合。うちは浄土真宗なので、少なくともそこにいるのは御先祖様ではない。

僕は幽霊肯定派でも否定派でもないので、自分が見たものに対して幽霊なのか生きた人間なのかは分からないけど何かがいる、程度にしか思っていない。どっちだったとしても自分に危害が及ばない限り放置なのだが、知らない人間に家に入られるくらいなら幽霊のほうがまだマシだと思っている。

一見お金持ちに見られるお屋敷なので、よく泥棒に入られるのだ。例えば昼間にこっそり入った泥棒が、使っていない部屋のどこかで息をひそめて夜になるのを待ち、みんなが寝静まったころに活動するという具合。

どう考えても幽霊がそこにいるよりずっと怖いだろう。

とはいうものの、前のスレッドで述べた通り、我が家は家が大きいだけで実際は貧乏なため、だいたいの泥棒は諦めて手ぶらでお帰りになる。泥棒が狙うような品物は、申し訳ないが祖父がとっくに金に替えて使い果たしている。

なお、使わない部屋に日常使うものや現金は置かないので、そういったものが盗まれることはない。

平成7年頃だったか、祖父亡きあとの新盆に、ほぼガラクタしか残っていない遺品を整理したのだが、掛け軸が何本かあった程度だった。しかしいずれも箱の中身はカラだ。これは泥棒の常套手段らしく、ひょっとしたら祖父ではなく本当に泥棒が盗っていったかもしれない。祖父なら桐箱ごと売り捌いていたはずだし、きっと大切にしていた掛け軸なんだろう。

あとは、令和の世なら骨董品扱いされるかもしれない8ミリカメラと映写機があり、フィルムも何本か残っていた。

家族で上映会を行なったところ、映っていたのはまだ幼かったころの僕たち兄弟と、祖父よりずっと早くに亡くなった祖母の優しい笑顔だった。これは泥棒には価値のないガラクタでも、僕たち家族にとってはとてつもない宝だ。

こればかりは祖父に感謝である。ちょっと泣いた。

屋敷が取り壊されたときはもう人手に渡ったあとだったので、家の中に残っていたのはゴミだけだったが、今思うとサルベージしておけばよかったと思うようなゴミもあった。親戚からもらった我が家周辺の古地図と、東海道新幹線開通前の時刻表である。父は時刻表専門の鉄道マニアだったので、昭和30年代の時刻表が物置(兼写真現像用暗室)部屋に山ほどあった。

どうして捨てずに取ってあったのかはわからないが、今なら小出しでヤフオクにでも流せばそれなりの値がついただろうし、泥棒に先見の明があれば盗られていてもおかしくなかったはずだ。惜しいことをした。今でも時々思い出してはため息をついている。

ちなみに昔見た得体の知れないものは、幽霊だったのか人間だったのか、もう解明のしようがないので未だに謎のままである。

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30年ぶりの学生生活 〜それぞれの職場環境〜

学生生活10日間が経過した。

長らく使っていなかった脳みそをフル回転させているせいか、夜の9時過ぎには疲れ果てて倒れ込むように寝てしまう。

学校は6時限なので、会社でいう時短勤務みたいなものだし、楽勝楽勝と当初はお気軽に考えていたのに、家での復習に3〜4時間ぐらいかかっているので結果的に残業しているようなものだ。

未経験分野を真剣に勉強するってこういうものなのかとヘトヘトになっている。

 

勉強以外のところでは、クラスの人たちと会話を交わすことが増え、それぞれの個性も少しずつ見えてきた。

何よりうれしいのは、会社員時代は避けられなかった上司-部下、先輩-後輩の関係が全くないことで、うんと年下の人達からもタメ口で声をかけてもらえることだ。新鮮で楽しすぎる。

先生たちの話によると、僕たちのクラスはとても雰囲気が良いらしい。人への気遣いなど大人の対応ができるという意味だそうだ。「えっそれは当たり前のことなのでは」とも思ったが、多分それは自分が今まで置かれていた環境が良かっただけのことなんだろう。

僕が知らないような職場の人間関係も教えてもらえる。
「女性の多い職場はめっちゃドロドロだよ」とか「お局に逆らうと鬱になるまでいじめられる」「役職定年のおじさんが全く仕事しないから辞めるよう仕向けられてた」など、ドラマか漫画でしかないと思っていた世界がリアルに存在していて衝撃だ。

僕のいた会社でもパワハラなどはあったけど、しかしそういうタイプの人間のほうが仕事ができず、閑職に飛ばされるなど淘汰されていった。
部下の仕事が回らないのは上司の責任という意識が根付いていて、一人のミスを全員でカバーするのは当たり前だった。
仕事ができる人ほど人間としても完成形なので、そんなことでマウントを取ろうという人もいなかった。むしろ優しい。

ほとんどが男性ばかりの職場だったことと関係あるのかどうかは分からないけど。

会社にいた時はわからなかった「外の世界」を垣間見ることができるのは面白い。あらためて前職の会社を外から俯瞰できるのは収穫だ。
自分はいい職場にいたんだな。

でも戻りたいかと言われたら絶対に嫌だ。懇願されても戻らない。もう責任を持つことに疲れたし飽きちゃったから、こればかりは譲れない。外注でならちょっとお手伝いしてもいい。

勉強はキツいが、クラスの雰囲気が良いので当初心配していたよりも楽しくやっている。
簿記はあと3週間。まだまだ長いなー。

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金持ち貧乏な子どもの夏休みの思い出

以前ブログに自分が中高生の頃の話を書いたが、今日はその第二弾でもっと小さい時の話をしようと思う。

以前に少し触れたが、うちは僕の曽祖父の時代に財をなし、それを二代目である祖父が穀潰しとして借金を残して死に、三代目の父が借金返済をして、僕たち兄弟の時代でようやく一般的な家庭になったという経緯がある。

個別に表すと、
ひいじいちゃん→苦労して成功した人
じいちゃん→生まれてから死ぬまでボンボン
とうちゃん→子どものときだけボンボン
ぼく→家と庭だけやたら広い貧乏

という家系だ。うちが実は貧乏だったと知ったのは、高校生になってからである。学校に納める金をもらえなくて、新聞配達のバイトでセルフ調達していたのだ。

子供のときは泊まりがけの家族旅行などしたことがなく、行っても日帰りでの町内会の海水浴ぐらいしか記憶がないが、あれも実は貧乏だったかららしい。

農家でもない一般家庭のくせに、家は敷地が300坪あった。うち建屋が100坪、残りは全部日本庭園と数台分の駐車場である。本物の資産家の土地には遠く及ばないが、老舗旅館と間違われるくらいのそこそこ大きな家で、いわゆる田舎の中途半端な成金豪邸だ。

子供の僕にとっては、家の敷地内だけで十分遊びに満足できる広い家だった。長い夏休みは、遊びに来た友達ともっぱら庭でセミ捕りや鬼ごっこ、かくれんぼなどをして過ごしたものである。

庭には木(ほとんど松)が30本以上植っている。適度に丘のようなものもあり、樫の木の割れ目にはクマバチの巣などもあった。そんな木々には他にもマツヤニや毛虫があふれていたので、木登りだけは自粛していた。

また、建物の表庭と裏庭それぞれに池があり、探検と称してゴムボートを浮かべ、糸に鯉の餌を吊るして魚釣りの真似ごとなんかもしていた。

親から言われていた庭遊びのルールは2つ、「灯籠に決してよじ登るな」「石に付いてる苔を絶対むしるな」といういわゆる景観条例と安全確保である。今思えばそれだけのルールであとはやり放題とは、日本庭園も泣いていたことだろう。

雨の日は家の中で、やっぱりかくれんぼや鬼ごっこ三昧だった。100坪2階建 (現代風にいうと12LDK)、玄関は家人用と使用人用の2つがあるような家だった。隠れ場所や逃げ場所には不足しない。ちょっと凝った隠れかたをすると小さな弟には絶対に見つけてもらえないので、わざと見つかりそうな場所に隠れていたくらいだった。

また、2階にはパリピ祖父の趣味なのかダンスホールまであり、そこでは前方のステージでのど自慢ごっこなんかもやっていた。

そんな、貧乏というにはあまりに贅沢な場所で僕は育っており、あの頃はそれが普通だと思っていたのもおかしいが、今思えば本当に異質な環境だ。周囲の昭和な子供とはかなり違っていたかもしれない。

無邪気に遊んでいた陰では、親たちが固定資産税などのオトナの金の心配をしていたんだろうななどと気がついたのはずいぶん大人になってからだが、祖父は父の金すら遊びに使い倒していたから極悪非道である。

ちなみに当時の土地と家は、祖父が亡くなってしばらくしてからようやく売り渡すことができ (もちろんその金も祖父の借金返済で消えている)、現在は更地になってしまった。取り壊されたときは少し寂しかった。

近所からは金持ちの家と思われていたし、市内中に名が知られた名家wだったが、実情はこんなもんだ。しょっちゅう泥棒に入られたりもしたが、その話はまた別でお話ししようと思う。

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30年ぶりの学生生活 簿記編その1

昨日から始まった学生生活。

このところ暑すぎて引きこもりがちだったこともあり、毎日朝から出かけて夕方に帰宅するというリハビリが、いきなりハードな酷暑からのスタートになってしまった。

僕が職業訓練で受ける「総務・経理実務コース」の初めの1ヵ月は簿記を集中的に行う。

授業に入る前に、ちゃんとした計算機を用意してくるよう言われていた。「ちゃんとした」というのはスマホの計算機機能なんかじゃダメだよという意味だ。最低でも「GT」ボタンがついていないといけないらしい。そのボタンがどんな機能を果たすのかは知らないが、とりあえずAmazonでいくつか見比べて、カシオの2,000円ぐらいのものを買って持っていった。

クラスの人たちは、事務経験が全くない人が大半だが、中には事務をやっていたという人もいる。しかし、事務経験があっても経理は未経験だそうなので、全員が簿記初心者だ。みな文房具屋やホームセンターで見つくろった計算機を持ってきていて、僕とお揃いの計算機の人も何人かいた。

さて授業の内容はというと、「そもそも簿記ってなんだ」から始まり、借方/貸方、勘定科目の分類、それぞれの科目の説明といった感じ。

売上・仕入普通預金などは僕たち素人でも名前を聞けば分かるが、支払手形・租税公課・車両運搬具などのように一瞬考えてからでないと分からないようなものもある。これらを1ヵ月で「あーはいはい、これは前受金で負債の科目で受け取ったら貸方ね」と頭から引き出せるようにならなければいけないそうだ。

2日目でもう挫折しそうになった。

58歳のおじさんともなると、新しい知識が頭の中に留まっている時間は限られており、大半は右の耳に入ると同時に左の耳から出て行ってしまう。したがって、そうなっても大丈夫なように恐ろしいほどのメモ魔になる。

しかし書き殴ってとっ散らかったメモは、後から見ても何を言いたかったのか分からないのがオチだ。

なので、家に帰ったらその日に習ったことをノートにまとめ直すことにした。早い話が毎日復習することにした。

ノートにまとめてもまだ全部が暗号に見える

ノートにまとめたからといって頭に入るわけではないけれど、自己満足度は飛躍的に上がった。

これが1ヵ月も続くのかと思ったら気が重くなったが、入試を控えた学生に比べたらかわいいものなんだろう。耐え抜くぞ。

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ほぼ30年ぶりに学生になりました。

昨日が職業訓練校の「通学」初日だった。

朝の9時に学校へ到着するよう家を出て、久しぶりの通勤渋滞を味わった。なんだか懐かしい。懐かしいのだが、通学ルートが会社員時代の通勤ルートそのままなので、同時にいやーな気分にもなった。またあの会社に通うような「おうちにかえりたい」という気分。

来週からは通学ルートをちょっと考え直そうと思った。

僕が受ける職業訓練は「総務・経理実務コース」なので、いわゆる小中規模の会社の事務・経理就職を希望する人が集まっている。そのため大半が若い女性だ。20人中、男性は僕を含めて4人だった。しかもそのうち3人は僕と年齢が近そうだ。とても心強い。

午前中は館内の案内や生活面 (食事の場所など) の注意事項説明と、あとは席決めである。正面にあるスクリーンには結構細かい文字が映し出されるため、見にくい場合は前の席を優先してもらえるという。僕は老眼がまあまあ進んでいるので前のほうを希望したが、他の同年代おじさんは後ろにいた。別に示し合わせてはいないけど、ちょっと裏切られた気分だ。

そして、初めましてあるあるの自己紹介タイムが始まった。

みんながどういう経緯を経てここにくることになったかが、ざっくりとだが掴めた。

子供が3人いてもう5年以上会社員をしていないから資格を取って就職したい人、メンタル的に仕事がきつくなってしばらく療養していた人、事故で障害を持つようになり仕事を辞めざるを得なくなった人、ご主人の転勤で引っ越してきたので就職前に資格を取りに来た人などなど。おじさんにはみな同じ顔に見える若い女性も、それぞれの人生ドラマを抱えてこの場所に来ていることが分かってちょっと感動した。

小さなお子さんを抱えながらも就職意欲を持って来ている人は、生活を支えている自負があるのだろう、人一倍勉強意欲が感じられる。なんだか生ぬるい気分で来てしまってごめんなさい。と心で小さく呟いた。

とはいえいちおう僕だって、今ある貯金が底をついたらのたれ死ぬ立場の人間である。そこは若い人たちに負けない気迫で押し切るつもりだ。

僕と同年代の男性は元塾講師と元金融マンで、いずれも早期退職組だという。休憩時間にちょっと会話を交わしたところ、どちらもとても賢そうな人だった。分からないところをいろいろ教えてもらえそうでありがたい。

ちなみに元金融マンがわざわざここに通い始めた理由は、後工程しか知らないから、前工程である一般経理のことをきちんと理解したかったそうだ。前職と全く関係のないことを勉強したい (= 前の職業に飽きた) 僕とは希望理由が正反対である。

今日は4ヶ月間のカリキュラム説明までで一日が終わってしまったので、本格的に授業を開始するのは来週から。初めの一ヶ月は簿記を集中的に行うそうだ。

難しいのかな。そんなに大変じゃないといいな。まあせっかく勉強するんだから、ちょっとぐらい難しいほうがいいんだろうな。せめて脱落しないようついていかなければ。

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