歩き旅のことを語る
以前に会社を卒業する記念旅行で、西日本を歩きと車で巡ったが、実は僕の趣味のひとつに「歩き旅」がある。
鉄道や自動車がなかった時代からある古い道をたどって、先人の気分にひたるのが楽しい。まあ、ひとつの懐古趣味みたいなものだ。
スマホに残しているログによると、これまでに歩いた距離の累計は3300kmになった。
という話をすると、だいたい「歩くのが好きなんですね」と言われるのだが、実はそうでもない。
僕は日常の散歩はほとんどしない。「健康のため」という名目で歩くほど健康に興味がないからだ。家をスタートして家に戻ることに楽しみを見いだせない。
あと、汗をかく季節は熱中症が怖いので歩きたくない。
古道を歩くということは神社やお寺めぐりが好きなのかと聞かれることがあるが、それもそんなに興味がない。式内社であればちょっと寄ってみるかもという程度。
僕はただ先人の足跡を追いたいだけなのだ。
1日に歩く距離は20kmから30km程度だし、雨と分かっている日は極力中止にしているので、歩き旅を趣味にしている人の中ではかなりのヘタレ部類だろう。
それでもイノシシに追いかけられたり、小動物の白骨死体に遭遇したり、倒木に道を塞がれていたりと、日常では体験できないような気分で歩けるので、なかなかよい刺激になっている。
同じ道は原則として二回以上歩かないので、近場を制したらあとは遠征ということになる。したがって、ただ歩くだけなのに交通費や宿泊費がかかってしまうのが欠点だろうか。その辺は他の手段での旅行と感覚は同じだ。
ちなみに、歩いた距離の感覚を車移動に換算する場合は、15という係数(僕の経験により算出したもの)をかけるとしっくりくる。
10km歩いたなら、下道を車で150km走ったぐらいの距離感だと思ってもらえればいい。
今は日が長いから好きなだけ歩けるはずだけど、梅雨だし暑いのでオフシーズンということになっている。
歩き旅を再開するのは10月頃の予定。今は古地図を見ながら、この先歩く予定のルートをせっせとPCやスマホにインプットするのが日課だ。
ナイフで鉛筆を削った
ヒマなの? と言われても仕方がない。それが何か?
時間はたっぷりある。
鉛筆をナイフで削った。
簿記の職業訓練のお受験で、「ペーパーテストでは鉛筆を使用 (シャープペンシル禁止)」 と書かれていたのだ。
うちには鉛筆がないので、さっそく買ってきた。
文房具屋へ行ったら、消しゴムが尻についているものやキャップ付き、すぐに使えるよう削られているものなど、いろんなバリエーションの鉛筆があった。
僕が鉛筆を使うのは小学生の時以来だから、45年ぶりになる。あ、いやテストのマークシートなんかでも使ったかな。日常で使うのはやっぱり小学生のときが最後だったな。
だけど鉛筆を使うのはこれが人生で最後になるかもしれない。
つまり一度しか使う予定がないものなので、いちばん安いのを買った結果が3本セットの削られていないやつだった。
家に鉛筆がないのだから当然鉛筆削りもないわけで、グリグリする小さい削り機を一緒に買おうかとも思ったのだが、それではすでに削られた鉛筆を買うほうが安い。
こんなしょーもないところをケチって、僕はカッターナイフで削ることを選択した。
おじさんが小学生の時は、すでに電動の鉛筆削りがあったんだ。もちろん、ゴリゴリとハンドルを回すタイプのものも持っていた。叔父から譲ってもらった手動削り機は、僕が使わなくなるまで故障したことがない優れものだった。
だからナイフで鉛筆を削るなんて、明治生まれの祖母の思い出話でしか知らない。
削りかたは知っていたからなんとかなるだろうと、悪戦苦闘した結果をご覧ください。
生まれて初めてナイフで最初から削った鉛筆は、僕にしては上出来だと思うので見せびらかしたい。
右手の親指が悲鳴をあげるほど痛かったという思い出を胸に、僕は受験に挑む所存だ。
簿記の職業訓練について話を聞いてきた
退職まであと2週間を切った。
梅雨にも入ったし、正直なところ出歩くのもちょっとめんどくさくて、体も心もあまり健康によろしくない。
少しフライングだが、昨日ハローワークで職業訓練のことについて話を聞いてきた。
僕の地域のハローワークは3市を受け持っている。そのため、自分が考えていたより人で賑わっていた。
受付で、まだ退職前であることを話した上で職業訓練の説明を受けたいと申し出た。
断られるかもと思っていたが、意外とすんなりOKが出て、番号札を渡されて順番を待った。
職業訓練の説明は、一般の職探しコーナーとは切り離された専用の窓口がある。担当者によってそれぞれ持ち分が異なるようだ。
僕の話を聞いてくれた担当の女性はとても忙しそうで、僕の順番が来てブースへ入った途端、電話対応で10分ほど待たされてしまった。
公務員て忙しいんだな。人件費削減なども影響しているんだろうけど、安定して市民のサービスを供給してほしいのであれば、こういうところへの税金投入を減らすのは僕は反対だ。公務員にだってどんどん対価を支払うべきだ。
「役に立たない年寄り公務員だけでも減らせよ」という向きもあるだろうが、役に立たない年寄りなんて一般企業にもたくさんいる。僕だってそのうちの一人だろう。
職業訓練について担当の人に説明された内容を要約するとこうだ。
- 7月下旬から僕が希望するコースの講座が始まる。
- 申し込み自体は無職になってからでないとできない。
- 7月に入ってすぐ諸手続きを済ませれば、応募に間に合う。
- 言っとくけどテストと面接に合格しないと受講できないからね。
なんと。受験 (審査) があるのか。
もらったチラシによると、簡単なペーパーテストと面談があるのだそう。
考えてみればそうか。簿記の講座なんだから、暗算や筆算で簡単な計算ができなければ受けても意味ないもんな。中卒程度の学力はそりゃ必須だ。
ちなみに20名の募集枠で、すでに30名以上の応募があるのだそうだ。
ちょっと怖気付いてしまったぞ。
車から閉め出された時のこと
昨日のパワーウィンドウ閉まらない事件のついでに、今度は本物の自動車トラブルの話をしようと思う。
パワーウィンドウ閉まらない事件とは違ってオチはない。
自動車のインロック。
これは車のキーを車内やトランクに置いたままドアを閉めたとき時に、うっかりドアロックしてしまうというトラブルである。
僕はこれまでで4回ほどやってしまっている。
1回目の時は、自ら墓穴を掘ったパターンだ。
車から降りる時は、通常はキーでドアをロックして車から離れる。だがキーを使わずにロックできる方法もある。ドア内側についているドアロックボタンをロック側にして、外からドアを閉めると鍵がかかる。
運転席のドアはそれで普通に閉めてもロックが解除されるが、外のドアハンドルを引き上げながら閉めれば解除はされない。
当時僕はその方法でロックする癖があり、うっかり車内にキーを入れたままやってしまった。
電子部品の少ない昔のことなので、その時は家から針金ハンガーを持ち出し、窓の隙間から差し込んで半ば強引にこじ開けた。
2回目と3回目はトランクにキーを入れたまま閉めてしまったパターン。
トランクの荷物を整理するのに、手に持っていたキーをトランクに置いて作業し、そのままバタムと閉めてから「あれっ鍵がない」と騒ぐやつ。後席の背もたれからアクセスできる場合もあるが、背もたれが固定式だったり、ドアにも鍵がかかっていたらアウトだ。
この時は2回ともJAFのお世話になった。
そして4回目、これが今日の話のメインで、今考えてもなぜドアがロックされたのかさっぱり分からないので聞いてほしい。
これも数年前の寒い冬の日のことだ。
当時僕はとあるメーカーに出向していて (途中省略)、その日は帰り際に雪がうっすらと車に積もっていた。
まずはエンジンをかけて、暖機している間に車の雪をどけようと、雪かき棒で作業を始める。
最初に屋根の上、次にフロントとサイドのガラス、ボンネット、と丁寧かつ効率的に雪を落とし、最後に車の後方をやろうと後ろに回ったその時、車内から「ガチャ」という音が聞こえた気がした。
気がしただけなので特に何も思わず、そのまま作業し終わったところでさあ車に乗ろうとしたら、ドアが開かない。なんで。
気のせいだと思っていた「ガチャ」の正体は、車がロックされた音だったようだ。
いやいやいや、そんなわけないだろ。いったい誰がどこから鍵かけたんだよ。
車を一周して、全てのドアを引いてみても全ロックである。
理由はさっぱり分からないが、僕が車から閉め出されたというのは確定のようだ。
つまり、次にとる行動は、ドライバーの心強い味方、JAFさんへ電話をすることだ。
JAFの電話番号が#8139なのは、長年の経験の蓄積で知っている。僕はベテランドライバーなのだから。
しかし、さあ電話と思ったら、スマホはカバンの中だった。つまり車に閉じ込められている。
仕方がないので、いったん建屋に戻って電話をしようと思ったが、社員証も首から外してカバンに入れていた。社員証のICチップがないと、そもそも建屋の敷地に入れない。
八方塞がりになってしまった僕は、ブルルルとアイドリングを続ける愛車の傍らで、寒さに凍えながら雪かき棒を片手にたたずむしかなかった。
とはいえたたずんでいても解決は望めない。ここは恥を忍んで、駐車場へ出てきた誰かに電話を借りることにしよう。
5分ほど(雪かき棒を片手に)駐車場口の脇で立っていたら、若いお兄さん2人組がやってきた。メーカーの一部署だけのエリアとはいえ知ってる人はほんのひと握りなので、待ち構えて出てくる人は高確率で面識のない人だ。
「すみません、実はかくかくしかじかで、JAFを呼びたいので電話をお借りできないでしょうか」
爽やかな若者は快く電話を貸してくれた。天使だ。
おかげで解決への第一歩を踏み出して心が明るくなり、相変わらずブルルルとエンジンがかかったままの車の脇で(雪かき棒を片手に)JAFの到着を待った。
その後10分ほどでJAFのおじさんが来て鍵を開けてくれ、すっかり暖かくなった車に乗り込み無事に帰宅できたのだが、未だ車がロックしてしまった理由は謎のままである。
JAFのおじさんはこう言っていた。
「車内にキーを置いたまま外に出たら、軽自動車だろうとどんな高級車だろうとインロックすることはあるんです…絶対に車から出るときはキーを持たないといけませんよ。インロックが遠因となって死なないとも限りませんからね…」
あれは、寒い冬の日のことじゃった…
思い出話である。
あれは寒い冬の夕方、仕事帰りの駐車場で起きた出来事だった。
当時僕は、出向でとあるメーカーに勤めていた。
僕の勤めていた部署は、その部署だけが独立して敷地と建屋を持っており、片田舎の高台に要塞のようにそびえ立っている。その駐車場は平置きで、とてつもなく広い。
その日は特に寒く、仕事を終えて駐車場へ行くと、車がガチガチに凍りついていた。高台で吹きっさらしのため、ふもとよりも気温が下がりやすいのだろう。
エンジンをかけて暖機している間に、ふと窓は開くのだろうか?と気になった僕は、やめておけばいいのになぜかパワーウインドウのスイッチを押してしまった。
窓が凍りついていので、下がるときに「バキッッ」という大きな音がしたが普通に動作した。他の窓も同じようにバキッッといいながら開いた。
よしちゃんと動いたね。とスイッチを引き上げて閉めようとしたそのとき、窓が全く反応しなくなっていることに気づく。
開いたのに閉じない!? え、なんで。どういうこと?
スイッチをカチャカチャいじっていたら、運転席の窓だけは閉まったが、他の窓はウンともスンとも言わなくなってしまった。
無理に窓を開けたのでヒューズが飛んだか? それともドア内部のパワーウインドウ機構も凍っていて、変な負荷をかけたからギミックがおかしくなってしまったんだろうか?
これでも僕は技術者だ。思いつく限りのトラブルシュートを頭に巡らせて、なんとか原因をつきとめようと考えたが、分かったところで会社の駐車場では対処のしようがない。ここはひとまず車屋へ駆け込もうと、僕は窓を全開にしたままで車を走らせることにした。
寒い。凍りつくほどの寒さの中を窓全開で走るのは寒すぎる。鼻水が風で後ろになびく。走りながら凍死できる。
すっかり体が冷え切ったころ、そろそろ店を閉めようかという車屋にたどり着いた。とにかく近くの車の店へと思っていたので、特に普段関わっているわけでもない、初めて行く店だった。
窓を全開にした車から全身が凍てついたおっさんがヨレヨレと出てきたことに、店の人もただならぬ気配を感じたのだろう。
「どうしましたか?」と営業の若い女性が心配そうに声をかけてくれた。
「窓が、窓が閉まらなくなってしまって…」
「えっそれは大変ですね。ちょっと拝見しますね」
閉店間際だったにもかかわらず、営業のお姉さんは車に乗って窓のスイッチを確認してくれた。
スイッチをカチャカチャいじってる姿を見ながら「違う、そうじゃない。壊れてるんだよ。電気系統か内部の構造の問題なんだよ」と心で訴えつつも、とりあえず黙って彼女の作業を見守る。
すると…
スーッと窓がきれいに閉まった。
「あ、閉まりましたよ。大丈夫です。よかったですね。」
…え?閉まったの?なんで?いったいどんな魔法を使ったん?えっえっ、なんで?
「このスイッチを解除したら閉まりますよ。これが押されていると、運転席以外の窓が操作できなくなるんです。」
あっ…
知ってる。それ、知ってる…
そのスイッチ知ってる…子供が勝手に窓を操作できないようにロックするやつ。めちゃくちゃ知ってる…
窓を開けたあとに閉めようとしたとき、おそらく自分でうっかり触って押してしまったんだろう。それに気づかず「うおー閉まらねえ!」とパニックになって、窓全開でとにかく走り出したんだよ僕は!
機械においては仕事で関わっているプロである僕だが、この時ばかりはそれを表に出してはならないと本能が訴えてきた。ここはド素人になりきれと。
「うわー、このスイッチが押されてると窓が動かないんですか。いやぁ助かりました。ありがとうございます!」
そう言ってそそくさと車に乗り込む。
営業のお姉さんは「よかったですね!」という満面の笑みをたたえて僕を見送ってくれた。
帰り道の僕は、窓が閉まった安心感よりも、営業のお姉さんに「ボクの見立てではネ、配線かウインドウレギュレーターに問題が生じたんじゃないかと思うんですよ」などとヘタに玄人っぽい発言をしなくてよかったという思いでいっぱいだった。
もし何か言っていたら、シッタカマウント客としてお姉さんの職場でのちのち笑いものにされるところだっただろう。
そう思ったら、顔から汗が噴き出してきた。人間はこういうとき、極寒でも汗をかくことができる。
あれから4年経つが、パワーウインドウはなんのトラブルもなく、全く正常なままである。
ハローワークのサイトで職業訓練を探した
先日、簿記の資格を取ろうと決めたが、完全無職になるのを待ってハローワークに行かなくとも、インターネットで職業訓練のコースを検索できることを知った。
ハローワークインターネットサービスという、全国各地の職業訓練を検索できるサイトだ。
これらを選択肢から選んで検索するだけで、自分の希望に合った講座が見つけられる。試しに事務分野の講座を東京都に絞って検索しただけでも、50件近くの講座がリストアップされた。
さて僕の住む地域ではどうだろうと探してみたら、通える範囲で1件ヒットした。
総務・経理実務科
日商簿記3級だけでなくFP3級も学べる上に、期間が4ヶ月と手頃なコースだ。
開始時期は限られているが、僕の失業保険受給資格があるうちに学べる見込みが立った。
ちなみにFPが何のことか、僕は恥ずかしながらこれを見た時点では知らなかったので、その話はまた別の機会に。
五十肩をこじらせるとどうなるか その2
その1の続き。
五十肩の痛みを治そうとして、温泉でリハビリだーと肩をグリグリしたら炎症して、病院に駆け込んだ、というのが前回のあらすじ。
これは、あくまでも僕の場合はこうだったという体験談として読んで下さい。
肩がおかしいと思ったらお早めに専門医へご相談を。
ようやく肩は動かせるようになった。でも痛いことには変わりない。
病院でのリハビリを勧められて、それからしばらく通うことになった。
施術内容は、施術師の先生によるマッサージと電気治療。だいたい1回30分程度だ。
週に2回、在宅勤務の日に通うことにした。
施術が終わった直後は肩が軽くなり、もう治ったような気分になるのだが、翌日にはまたもとの痛みに戻ってしまう。そんな症状を繰り返したまま2ヶ月ほど過ぎたところで、リハビリに行くのを止めてしまった。
僕よりひと足先に五十肩を経験した友人にその話をしたところ、その友人は肩に注射を打ってもらってちょっとリハビリしたら割と早く治ったと言う。
せっかくなのでセカンドオピニオン的にその病院を紹介してもらった。
通うにはかなり遠い場所なので一度しか行かなかったが、僕も注射を打ってもらい、五十肩のしくみや自己リハビリの方法など、けっこう時間をかけて教えてもらった。
先生がおっしゃるには、僕の場合は肩が痛いのを長期に渡ってかばいすぎたために、左の肩甲骨周辺の筋肉がゴリゴリのカッチカチに固まってしまっているのだという。だからそれを少しでも右肩と同じレベルに引き上げる努力をするのが良いらしい。
先生曰く、「五十肩でも肩の痛みは必ず治りますよ。動かなくなるだけで。」だそうだ。
そうか、動かなくなるのか。
それからは、やり過ぎない程度に腕を広げたり閉じたりと、肩甲骨を動かすリハビリを始めた。
やがて暖かい季節になって、肩の痛みがだんだん取れてきた。そして先生に言われた通り、動かなくなっていた。
右腕はまっすぐピンと上に伸びるのに、左腕は伸びない。脇を見ると90°に曲がったままそれ以上開かなくなっている。
腰に手が当てられない。背中がかゆいのに手を後ろにすら回せない。自分でもびっくりするぐらい可動範囲が極端に狭くなってしまっていた。
現実を直視して青ざめた僕は、それから左手に1.5kgの鉄アレイを持ってリハビリするようにした。
本当にかばい過ぎていたんだなあというのがよく分かったのは、たった1.5kgを数秒持ってるだけで腕がプルプルしたときだ。右手ではひょいひょい動かせるのに、左手だと何倍も重く感じる。
これからは積極的に左手を使っていかなくてはと、その時つくづく思った。
それから1年、相変わらず脇はピンと伸びないが、腕は比較的まっすぐ伸びるようになったし、左手で頭の後ろを洗えるようになった。あと、こだわりラーメン屋の店主くらいにまで腕を組めるようになった。
もう少し進展するようなことがあれば、また報告するので期待していてください。人間に戻るぞ。
参考: 治療にかかった総額は14,360円